概 説- 古代オリエントと『旧約聖書』の世界(投稿:岸川公一)

古代オリエントの歴史は『旧約聖書』のなかの説話の世界が時として史実と「渾然一体」となって、
私たち現代人の知的好奇心、探求心を弥(いや)が上にも刺激して止みません。

ヘブライ人と『旧約聖書』の成立

 

ヘブライ人は多神教を奉じる古代オリエント世界にあって唯一、一神教(ヤハウェ)を崇める民族
でした。旧約聖書・「創世記」によれば、主(ぬし)ヤハウェは6日間をかけ天地を創造されたその最
終日に土の塵から最初の人間であるアダム(男)を造り、そのあばら骨からイヴ(女)を造って夫婦と
し、東方の楽園(エデンの園)に住まわせました。「エデンの園」は、イラク南端の港湾都市バスラ
に面したペルシャ湾の河口から百Kmほど遡った、チグリス・ユーフラテスの両河が合流するシ
ュメール地方の「クルナの地」にあったとされ、筆者がバスラ郊外のプラント現場に滞在中の40数
年前、休日に仲間とシャトアル・アラブ川<*>を舟で遡って同地を訪れ、「禁断の実」をつけたと伝
えられる老木の下で記念撮影をしたものです.

<*> : クルナの地でチグリスとユーフラテス両河が合流しペルシャ湾に向けて流れる、河川名。

       
クルナに向かう途上ハルサ発電所をシャトアルアラブ川面から望む(写真撮影:岸川公一)[1979.6]

後述する「義人」ノアの十世代のちの末裔でシュメール地方・ウルの遊牧民の族長アブラム(のちにアブラハムと改名する)は、「ノアの大洪水」の後、主ヤハウェによる人類救済の出発点として選ばれヤハウェの祝福を受けた最初の「預言者」とされています。ヤハウェはアブラムをカナン(パレスチナ)の地に赴かせ、将来の祝福を約束してその契約の証として割礼について定め、アブラムをアブラハムと改名させます。 【「創世記」;12&17章】

  そのアブラハムを祖に戴くとされるヘブライ人は、子孫らがやがてカナンから各地に移住・拡散し、エジプトでは彼らが「寄留民」として次第に増えるのに伴い、騒乱を起こしかねない「不穏な外国人集団」としてこれを警戒するエジプト人から、奴隷扱いの過酷な労働や監視、虐待を受けるようになり、受難の時代を迎えます。 エジプト新王国・第18王朝期(紀元前1500年頃~)に入って増々強まる「迫害」の中で、ラメセスⅡ世<*>(在位:紀元前1304~1237)の治世下にヤハウェの啓示を受けたヘブライ人の指導者モーゼが民衆を率いてエジプトを脱出、ヤハウェは紅海を分かち、モーゼたちが渡り終えると海は元に戻り、追っ手のエジプト軍兵士たちを溺死させます。こうしてエジプトを逃れた民衆は40年間荒野をさまよい、この間にモーゼはシナイ山で主ヤハウェと契約を結び、「十戒」を授かります。その後、彼らはモーゼの死に直面しますが、従者のヨシュアが後継者となって指揮を執り、最後に奇跡的に水の引いたヨルダン川を渡って約束の地・カナンに民衆を導いた、とされています。  
【「出エジプト記」】、 【「ヨシュア記」;3章】

 <*> : エジプト史上最も精力的な国王であったとされ、アブ・シンベル神殿など幾多の建造物を遺(のこ)したことでも知られその治世は実に67年間に及んだ。

出エジプト(カナンへの道)

 

やがて時代は推移し、カナンの地に擁立されたヘブライ人の国家は王政となり、ダビデ(紀元前1040~961)、ソロモン(紀元前1011~931)の親子二代に亘る国王の治世下に於いて隆盛を極めますが、ソロモン王の死後、間もなく国家は北の「イスラエル王国」と南の「ユダ王国」に分裂します(紀元前930年頃)。その二~三世紀後にイザヤやエレミヤなどの「預言者」が現れ、人々の堕落(ヤハウェに代わる偶像崇拝)を戒めるとともに民族の結束を説きますが、国威は低下の一途をたどり紀元前722年にイスラエル王国が、当時メソポタミア地方の最大勢力であったアッシリア帝国(サルゴンⅡ世)に滅ぼされます。 【「列王記・下」;17章】

一方、ユダ王国はその後アッシリアに替わって覇権を握った新バビロニア(ネブカドネザルⅡ世)とエジプト(ファラオ・ネコ)との覇権争いの渦中にあって、それまでの忠誠を覆しエジプト側に寝返ったことでネブカドネザルⅡ世の怒りを買い、二度に亘って指導者層を中心とした人々がバビロンに強制連行される事態となります(紀元前598および586)。この結果、紀元前586年にはユダ王国も滅亡します。この「歴史上の事件」は、唯一 旧約聖書のなかで「バビロン捕囚」(the Exile)として伝えられているものです。【「列王記・下」;24章】

ヘブライ人の先人たちが書き遺(のこ)した伝承や説話、主ヤハウェへの賛歌、預言者の箴言(しんげん)などを一神教の立場でまとめた「ユダヤ教」の経典(「掟」としての律法書)が、「旧約聖書」です。「出エジプト」や「バビロン捕囚」などの旧約聖書中で語られているこれら「迫害・受難」の事件が、彼らにユダヤ民族としての「選民思想」を抱かせ「結束」を結果的に促すこととなります。

旧約聖書の「成立時期」については「バビロン捕囚」の苦難を経てアケメネス朝ペルシャ(キュロスⅡ世)が新バビロニアを滅ぼした翌年(紀元前538年)の捕囚解放令により、帰国を許されたヘブライ人が故国パレスチナに戻って以降、西暦紀元前後に至るまでの間の数百年間であったと考えられています。

 

「ノアの方舟 (はこぶね)」説話

古代メソポタミア地方では、トルコの山岳地帯に源流を有するチグリス・ユーフラテス両大河の雪解け水が、はるかペルシャ湾を目指しイラクの沖積平野を下って穀類の収穫時期と重なる4-5月頃に下流域のバビロニア地方に達し、押し寄せた河川水の氾濫による甚大な人的・経済的洪水被害を河畔一帯の村落に繰り返し及ぼしてきました。

シュメール人は頻繁に起こるこの「事象」を、信仰心を失い堕落した人間に対して水神エンキが科す「懲罰」と考え、神殿にエンキ神を祀(まつ)って怒りを鎮める祈祷と豊饒祈願を頻繁に執り行った、と伝えられています。そしてこの記憶が、遠くシュメールの時代から語り継がれた「大洪水説話」の原型になったと考えられます。

旧約聖書中で語られる「ノアの方舟」説話では多神教から「一神教」の立場に書き改められ、人類の堕落への懲罰として主ヤハウェがアダムの末裔たちの一掃を決意する一方、アダムから十代目の末裔で信仰深いノアにのみ計画を明かし、建造を命じた巨大な方舟に陸上動物たちのつがい一式と共にノアの一家を乗船させます。雨は四十日間に亘って降り続き、陸は水没し方舟に乗ったものたち以外は残らず溺れ死にます。こうしてノア一家は動物のつがいたちとともに生き残り、人類は絶滅を免れます。方舟は百五十日間漂流し続け、やがてトルコ東端のアララット山(海抜5,137m)の中腹に漂着します。ノアは水の引き具合を知るため方舟から鳩を放ちますが、直ぐに戻って来てこれを繰り返すうち、何回目かに鳩がオリーブの枝を食わえ戻って来たのを見たノアは地上から水が引いたことを知り、方舟を出て地上へ降り立ちます。【「創世記」;6~8章】

地上に降り立ったノアはその場に祭壇を築くと、ヤハウェに供物を捧げます。これに対しヤハウェは、今後は決して人類の殲滅(せんめつ)を企てたりしないと誓ってノアとその子らを祝福します。【「同」;9章-1~17節】

 

「バベルの塔」説話

旧約聖書が伝える「バベルの塔物語」は、新バビロニアの二代目領袖・ネブカドネザルⅡ世(在位・紀元前605~562)が建造し王都バビロンに実在した、神殿「エ・サギラ」に付帯する聖塔「エ・テメン・アン・キ」(「天と地の礎の家」を意味し、発掘現場からは基礎部分のみが出土している)が、説話のモチーフになったと考えられています。「バベル」とはヘブライ語で「バビロン」を指します。ユダ王国のヘブライ人指導者層はこの時期、「バビロン捕囚」の憂き目に遭ってバビロン市内で「エ・テメン・アン・キ」を目の当たりにしており、新バビロニアを倒したアケメネス朝ペルシャによって解放され故郷パレスチナに戻った後の旧約聖書の編纂の過程で、数多く眼にしてきたジッグラトの中でも、底辺92m四方×高さ90mの威容を誇り、装飾と外面保護を兼ねて表面に施されたエナメルが日光に燦然と輝きを放つ、七層構造から成るこのひときわ壮観な聖塔を「バベルの塔」説話のモデルに仕立てたであろうことは、想像に難くありません。ヘブライ人にとって憎きバビロニアの象徴である「バベルの塔」説話の要旨は、「創世記」によればつぎのとおりです。

  「ノアの大洪水」のあと、地上に増えた人類がまだ単一の言語で会話していた頃、人々は自分たちが方々に散ることのないように、また、その名を世に高めようと、バビロニアを指す聖書名の「ナシール」の平原で、石と漆喰に替えてレンガとアスファルトを用いて天に届くほどの高い塔を建てようと作業を進めたとされます.その「神をも畏(おそ)れぬ」行為に憤怒された主ヤハウェが、作業者同士の意思疎通がとれなくなるようにと言葉を乱れ(バラル)させ、そのため人々は作業を続けることが出来なくなって四散し、放置されたバベルの塔は崩落して果てた、とされます。   【「創世記」;11章】  そして、王都バビロンの運命が「預言者たち」の箴言の形で綴(つづ)られます。「カルデヤびと(バビロニア人)の誇りである麗(うるわ)しいバビロンは」と預言者イザヤは続けます。「神に滅ぼされたソドムやゴモラと同じように、あとにはただ獣とふくろうだけが棲(す)むであろう..」と。 【「イザヤ書」;13章-19 ~21節】  また、「預言者」エレミヤはこう宣告します。「神の憤りにより、住む者はなくなりすべては廃墟となってバビロンの傍らを通る者は皆恐れ、その禍(わざわい)を見て驚き、嘲(あざ)笑うであろう..」と。 【「エレミヤ書」;50章-13節】  それらの預言通り、王都バビロンはほどなく、道徳的にも乱れていきます。そしてネブカドネザルⅡ世の死から二百三十年、新バビロニア帝国の滅亡から二百年ほどが経過した紀元前330年に、アケメネス朝ペルシャを倒したマケドニアのアレキサンドロス大王が旧都バビロンに入城した時には、ペルシャの統治下で永らく放置されて来た旧都の荒廃は相当進んでいた、と伝えられています..そうしたなかで同様に放置されて来たエ・テメン・アン・キ(バベルの塔説話のモデル)も、外面保護のため表面に施された高価なエナメル類は住民らに悉(ことごと)く剥ぎ取られ持ち去られて劣化がひどく、威容を誇った聖塔の往時の姿は見る影もなかった、と云われています。廃都バビロンを「新たな王都」とする構想を描いていた大王は、バビロニアの国家神マルドゥクを祀るこの威容を誇る聖塔を大々的に修復する志を抱いて「バベルの塔」の再建を目指しますが、紀元前323年、三十代の若さで病に斃(たお)れ、この壮大な計画は実現をみることなく、夢と潰(つい)え去ります。

 歴史に「たら・れば」は禁句とされていますが、壮年のアレキサンドロス大王が病魔に斃れることなく「バベルの塔」の再建を成し遂げていたならば、「旧約聖書のなかで語られた今に遺(のこ)るバベルの塔」を現代に生きるわたしたちが旅先のバビロンの地で眼にしていたかも知れないと想像すると、「歴史ロマンの夢の世界」は果てしなく広がっていきます..   

 (完)

 (参考)バベルの塔の規模比較。

(イラスト図出典) 2007年6月にUR都市機構 東日本支社 武蔵小金井駅南口再開発事務所が刊行した
武蔵小金井駅南口第一地区第一種市街地再開発事業」より。

 追記- ① : 「預言者」と、その果たした役割

ヘブライ(イスラエル)人がカナンの地に定住したころ、周囲の農耕民たちのあいだには「多神教の伝統」が根強く残っていました。ヘブライ人はこうした状況下でもヤハウェ信仰を守り通しましたが、人びとの信仰心が薄れ、神との契約にそむく危険は常に存在していました。王国が誕生すると、新たな脅威が生まれるようになります。 実際にソロモン王は外国からも妻を迎え入れたため、彼女らが信仰する異国の宗教が入りこむ余地が生じたのです。そのような状況に対して警鐘を鳴らしたのが、「預言者」たちでした。預言者たちは、神から授かった律法を破って異国の神を信仰する人びとを激しく糾弾するとともに、しだいに豊かになっていく社会のなかで社会的な問題に対しても、活発に発言するようになります。イスラエルの「預言者」はオリエント世界に広く存在した占い師や、賢者(けんじゃ)と呼ばれる人たちとは一線を画し、「説教者」であり「詩人」でもあり、また政治や道徳に対する「辛辣な批評家」の存在でもありました..のちにイスラエルは歴代の国王たちが成し遂げた偉業によってではなく、彼ら預言者たちがつくりあげた倫理基準(宗教思想を最高にまで高めた内容)によって、人びとの記憶に残ることになります...彼ら預言者たちの言論活動によってイスラエルの宗教は、道徳と深い結びつきをもつようになり、その伝統をユダヤ教のみならず、キリスト教、イスラム教も受けつぐことになるのです。 預言者たちは信仰に対してばかりでなく、この世にはびこる不正をも告発しました。イザヤ、エレミヤなど預言者たちは、さまざまな特権と結びつきそれを享受する神官たちの実態を調べ、その官僚主義を厳しく糾弾しました。人はみな神の前で平等の存在であり、国王だからと云って好き勝手なふる舞いは許されないことを彼ら預言者たちは繰り返し説き、神から与えられた「法」を人びとに示し続けたのでした。今日の「自由主義的」政治思想の根幹にある、「権力は権力から独立した道徳的な枠組みの中で初めて行使され得る」との考え方は、彼ら預言者たちの「教え」が基になっている、と云えます。

 

 追記- ② : 「ソドム」と「ゴモラ」 について

ソドムもゴモラも、紀元前三千年紀に死海の南岸沿いに実在したとされる町で、旧約聖書の伝えるところでは住民らは神の教えに背く悪行の日々に明け暮れており、ついにある時、主ヤハウェの裁きが下り天から硫黄の火炎を一斉に浴びせられて、これらの町の全ての住民は地上の草木もろとも焼き尽くされて死滅し、一夜にして町は廃墟となって最期は死海の湖底に沈んだ、とされています... 

主ヤハウェは云う。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、住民の罪は極めて重い。わたしは地に降りて、わたしに届いた叫びどおりに彼らが為しているかを見てみよう。」           【「創世記」;18章-16~22節】

これに対し、ソドムで暮らす甥のロトの身を案じる義人アブラハムは、ソドムとゴモラにも正しい者が十人は居ると訴えて制裁の見合わせを懇請し、願いは一旦聞き容れられる。         【「同」;18章-23~33節】

ロトは叔父アブラハムとの遊牧生活に別れを告げ、家族とソドムで定住生活を始めていた。住民らの「悪行」は日増しにひどくなり、ソドムとゴモラの「叫び」はついに限界を越えたため、主は制裁を下す決心をし、二人の天使を地上に遣わし、旅人を装って信仰深いロトを訪ねさせる。外来者の来訪を知った住民らは二人を辱めようとロトの家を取り囲むが、二人は彼らの眼を潰し見えなくさせると、ロトに対し自らの素性 (ヤハウェの遣い)と、その使命(ソドムとゴモラを滅ぼすために遣わされたこと)とを、手短かに明かす。   【「同」;19章-1~11節】

そして、裁きが今まさに下る前に妻子らとともに町から命がけで脱出するように伝え、但し途中で絶対に後ろを振り返らないよう(町に何が起きているかは決して見ないよう)、厳重に忠告する。 【「同」;19章-12~14節】

ロトたちはソドムから無事脱出するが、ロトの妻は忠告を破り町の様子を見ようと振り返ったため、たちまち「塩の柱」と化してしまう。天使たちはソドムとゴモラの町一帯に天から硫黄の火を一斉に降らせ、ごく少数の正しい人々をも含む全住民は草木もろとも、一夜にして焼き尽くされ、死滅してしまう.. 【「同」;19章-15~26節】

 

(注) 岸川公一氏の過去の投稿も併せてお楽しみください。(タイトルor画像をクリック)

1.「古代メソポタミア」考            2. メソポタミア興亡史              3. イラクの世界遺産
        (2021年1月11日投稿)               (2021年2月10日投稿)                (2021年3月28日投稿)
        

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 (注)古代文明については西村正臣氏の「青銅器と古代中国の話」(2021年1月13日投稿)もあります
   のでご一読ください。