早稲田サロン(2024.2.10)

「2月早稲田サロン」は去る10日(土)、居酒屋「壱番館」にて総勢12名の参加の下 講師役に山崎文雄さん(1963年 政経 卒)をお迎えし「東海道五十三次気ままな旅」と題してお話戴きました。

 

高校~大学とアメフト一筋に打ち込んで来られた山崎さんですが 大学時代に怪我をされ競技続行を諦めて退部後は これに替わるものとして全国各地を旅して歩くのが趣味になったとのことです。

 

就職後は生活に忙殺されて封印して来た「旅」でしたが 60歳の定年退職を機に「東海道を歩いてやろう」と思い立つに至ったそうです。2001年1月~2003年10月に 延べ日数31日間、日帰り17回+13泊14日での旅で 街道の全行程492kmの内、江戸当時の航路27Kmを鉄道に替えて移動したほかは 464kmについて歩き通したそうです。

 

「東海道五十三次」は慶長6年(1601年) 東海道に制定された宿駅制に伴い1里(4Km)毎の一里塚と二里(8Km)毎の宿場が形成されたもので 江戸日本橋と京都三条大橋の492km区間に53の宿場が設けられたとのこと。当時の旅人はこれを2週間(35Km/日平均)で完歩したそうです。 ➡40km/日で健脚レベル!

途中 徒歩での箱根八里越えは聞きしに勝る「きつさ」で元箱根からの「西坂」は「昼なお暗き杉の並木」と歌われた通りであり清水次郎長の墓は立派だったこと、 吉良三人衆(上野介・仁吉・尾崎士郎)の伝承の地三河吉良で上野介が地元の名君と崇められていたこと等々、徒歩で巡る街道沿いの各地で幾多の故事来歴の類に接して見聞を広めたことは多いに 「旅の財産」となったようです。歩いてみて感心した一つに 「一里塚」なるものが当時の旅人の道標としてよく考えられたものだな、と。今回の山崎さんのお話を聴いて 一旦立てた計画を完遂する根気(こんき)強さに一同 感服した次第です。

 

本人写真と会場での風景写真4点を添え 以上 概要報告に替えさせて戴きます。

 

以上    

     報告者 岸川  公一 (早稲田サロン・代表世話人)