早稲田サロン(2024.11.09)

11月早稲田サロンは去る9日(土) 夕刻、居酒屋「壱番館」に新入会員の和泉琢也
さん(1998年理工卒)を講師役にお迎えし、「アメフトと原発に恋して四半世紀」
のタイトルでご講話いただきました。
直前のキャンセルが1名あって、出席者総勢11名での講演となりました。

和泉さんは「新入会員」とは云え、入会時期は2019年5月半ばであり、現役サラ
リーマンの宿命である「業務優先」の立場から稲門会でのイベント顔合わせの
機会が中々持てず、翌年以降はコロナ禍で稲門会活動自体が自粛を余儀なくさ
れて結局、今回が部会への初参加・お披露目となった次第です。

今年12月で50歳になるという和泉さんからは、そうした経緯から、生い立ちに
始まりご家族の構成なども含めた詳しい自己紹介が冒頭にかけてありました。
浦島太郎伝説の残る瀬戸内海に面した香川県西部の詫間町に帽子屋の次男坊と
して生を受け、小学4年の時に参加した「伊方原発の社会科見学」が琢也少年の心
を捕らえ、その先の進路を決定付けることになります。

それは「人間の未来は”原子力の平和利用”によって築かれ、唯一の被爆国である
日本人こそがその担い手として”平和利用”の‘先頭に立たなければならない」と
云った風な想いでした。 その「漠然とした想い」は成長するにつれ「確固たる
もの」となって県立丸亀高校から京大・工(原子核工学科)を目指すも結局、早大・
理工(機械工学科)に進学、それでも初志貫徹し学科では「原子力に関連する流体
工学コース」を専攻。「卒論」も原子力タービンに係る流体解析を採り上げます。

和泉さんが尊敬する人物に「命のビザ」発給で多くのユダヤ人を亡命させた外交
官の杉原千畝と、3.11福島原発事故で命懸けで現場の陣頭指揮を執った吉田昌郎・
元所長を挙げていますが、両名に共通するのは「信念を貫く」生き様です。

その傍ら、和泉さんは高校生の時にテレビで観たライスボウルに衝撃を受けます。
「どうしてもやってみたい!」との想いが高じ大学入学と同時に理工学部公認サー
クル「早稲田バッカス」の門を叩きます。ハワイ大学に武者修行にも行って、小錦
の従兄のコーチの方と知り合うなどの体験をしたそうです..アメフトとの関わ
りはOB会としての活動(総会・同期会・臨時コーチ)を通じて今なお「四半世紀にわ
たる恋」として綿々と継続中の由で、「打倒・慶応」に燃えるDNAは(福沢1万円札を
嫌って即両替するなど)徹底しており、衰えを知らない様子です。

伊方原発の社会科見学での「漠然とした想い」から十数年、「卒論」にも原子力タービ
ンを採り上げ、このまま研究畑を突き進むかと思われた和泉さんですが、大学2年の
1995年に動燃が高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩事故を起こすなどもあって
それまでの一途な考えから、理工系研究職から距離を置きたいと考え始めます。
その結果、大手銀行に就職することになります。

しかし原発の安全運用に懸ける関心は就職して四半世紀が過ぎた現在も変わらず、
化石燃料後のエネルギー政策は現状で技術が未熟な再生可能エネルギーに拙速に
移行すべきでなく、究極の技術誕生までの「つなぎ」かも知れないが「脱・脱原発」の
政策に舵を切って当面は進めるべきではと、和泉さんは考えます。

久々に「団塊ジュニア」世代の四十台現役サラリーマン講師の登場で、サロンのよど
んだ(失礼!)空気も一掃される感がありました..多忙ななかを丁寧な資料を作成
いただき、アメフトの詳しい競技ルール等も解説してくださった和泉さんには改めて
この場をお借りして御礼申し上げます。

最後に講師の近影、サロン講演風景写真6枚の 計7枚の写真を添え、報告とさせて
戴きます。

早稲田サロン 代表世話人 岸川  公一   
                         世話人  矢吹  淳  

 以上