早稲田サロン(2025.07.12)
7月早稲田サロンは 去る12日(土曜)夕刻 定例会場の居酒屋「壱番館」に 小金井
稲門会に2023年8月に入会された 大塚さん (1998 理工 卒)を講師役にお迎えし
ハウスメーカーに勤務する立場から今日に至る勤務会社の沿革を中
いただき 社内公募制度を利用して1年半を北米のビジネススクールに留学し
MBA取得コースで学んだ体験談 さらには 大学時代から続けている「合気道」の
話など 広く話題を採り上げてお話いただきました。
冒頭の自己紹介で 現住居は 隣接する武蔵野市内ながら 二人のお子さんはそれ
ぞれ小金井市内の大学と高校に通っているとの紹介がありました。
大塚さんが大手総合化学品メーカーに入社した年(1998)の3
すでに 東京五輪(1964)後の高度経済成長期の都市部への急激な人口
住宅需要の急増を背景に「建材事業」に新たに参入しており 欧州メーカーとの技
術提携の下に導入された画期的な工法によって 「建材事業」を軌道に乗せます。
1969年に「不動産事業部」が発足し翌年、鉄骨とALC(軽量
み合せた初のシステム住宅が展示場で公開されて反響を呼び「建売
方針は「戸建注文住宅」に方針転換されて代理店方式で営業網を拡
直後の「ニクソン・ショック(1971)」と「第一次オイルショ
も不況の波に晒されますが、国を挙げた景気対策により住宅需要は
の「不動産事業部」は「住宅事業部」に名称を変え住宅メーカーと
「構造躯体10年、防水7年」の業界に先駆けた「瑕疵担保制度」
「品質重視」の同社の姿勢が高評価を得たとのことです。
その後、「プラザ合意」(1985)での円高不況で政府の内需拡
市場が活況を呈し、着工戸数の急増に伴って営業網が全国的に整備
続く「バブル崩壊」後の不況期 (1995~)には 「安心住宅の実現」をコンセプトとし
た「ロングライフ住宅」への布石となる、多数の改革案が実行に移
そして 2003年のグループ企業の「持ち株会社化」に伴い「住宅事業部
れ、5年前に入社し同事業部に所属していた大塚さんはこの時点で 本体から分離
されて新生なったハウスメーカーへと移籍します。
この間、他社による構造計算偽造問題(2006)の発覚で翌年改
により住宅着工数が大幅減となり 続く「リーマン・ショック」(2008)で 不動産・建
築業界で倒産が続出する下で同社は「防水性能30年」を謳う「次
住宅シリーズ」を発売、また、災害対応 (東日本大震災での仮設住宅支援他)や 海外
事業への本格的取組み(ベトナムの鉄骨部材工場設立ほか)の積極
2025年3月期決算で 2015年の1.5倍の売上高を達成するに至ります。但し売上
の多くは「海外事業部門」の豪州及び北米向けに負っていて (他事業部での売上は
ほぼ横這い状態)、同事業部が経営を支える柱のひとつに育ったこ
ます。
リーマン・ショックが過ぎ去り 中間管理職を前にした大塚さんは2010年2月から
翌年7月までの1年半を社内公募制度により北米ミシガン大学の経
取得のためのビジネススクールに留学しグローバルMBAプログラ
多様な専門性を有する企業リーダーの育成を目的に原則として企業
門資格を持つ個人派遣を対象として通常2年間のMBA学業期間を
プログラムが組まれ 最初はアジア・セッション(日本・韓国・中国に各1ケ月滞在し、
講師が来訪し講義する仕組み)でアジア各地からの留学生と寝食を
って学び そこで培われた親交を元に 交流は現在も綿々と続いているそうです。
留学を通じて感じた点として大塚さんは「積極的に発言する重要性
での日米の考え方の違い(仲間の役割を自ら補おうとするわが国民
個人の役割に責任を持つ(or持たせる)米国の国民性との相違)
最後に ライフワークともなっている「合気道」について大塚さんは大学に
直ぐ入会した「合気道会」で在学中の4年間、本格的に稽古に励ん
卒業後も稽古を続ける傍ら 家庭を持って子育てなどで中断期間を挟み 現住居から
近い小金井公園内 「総合体育館」で稽古を再開するうちに 大学同窓先輩の西村さん
と眞鍋さんとも稽古をご一緒するようになったそうで 現在3段の腕前だそうです。
一級建築施工管理技師・一級建築士の資格を保有する傍ら 購買・生産戦略室 室長の
要職に在る 若き大塚さんの 今後ますますのご活躍を祈りたいと思います。
最後に、講師近影と講演風景写真数点、それに集合写真を添えて報
だきます。
以 上
早稲田サロン世話人 岸川 公一、矢吹 淳