早稲田サロン(2024.9.14)

9月早稲田サロンは、残暑厳しい14日(土) 夕刻、居酒屋「壱番館」に現・稲門会会長
(第9代目)の中村一夫さん (1969年 法学部卒)を講師役にお迎えし、「量産店・大型
スーパーの盛衰」と題し我が国の小売業界の歴史とその変遷に焦点を当ててお話
を戴きました。

出席予定者のうち2名が急遽欠席となり、総勢10名で大テーブルを囲んでの講演
となりました。

中村さんは大学を卒業した1969年4月に(株)西友に新卒採用され、同社一筋に歩
んで来られました。

2度に亘る石油危機(一次:1973年~、二次:1978年~)を経て、到来したバブル黄金期
(~1991年)と崩壊後の慌ただしい諸産業界の再編の只中で、私達との生活にも密
接な繋がりを持つ小売業界に身を置き、変遷の実態を具(つぶさ)に見て来られた
「時代の証言者」とも云うべき中村さんの興味尽きない話に耳を傾けるうちに、質
疑応答を交えた2時間余は瞬く間に過ぎ去り、盛況裏に会はお開きとなりました。

わが国小売業の歴史は高級志向の百貨店に始まり、やがて大衆層も取り込む戦略の
割賦販売形態をとる、丸井と緑屋が現れます。数々のキャッチコピー戦略を展開す
る丸井の「五百円で五千円のお買物」、「マルイはみんな駅のそば」、「電話もみんな
〇I〇I」等々は 我々昭和世代には懐かしいフレーズです。

緑屋は1970年に割賦販売業界一位の座を初めて丸井に明け渡すと、その後は西武
百貨店と資本提携してクレジット業務に定款を変更し、現在の「クレディセゾン」
として存続しています。

わが国初のセルフレジによるスーパーは1953年に青山に開店した紀伊國屋だっ
たとの紹介がされます。

続いて昭和の岩戸景気(~1961年)に端を発する中間層の拡大で消費ブームが到来
し西友、ダイエー、ニチイ(現:マイカル)、イオン、イトーヨーカドー等の 総合スーパ
-(GMS)が現れます。そして郊外型ショッピングセンター展開を図るイオンの戦略
(「狸や狐が出る所に出店せよ」)が紹介されます.. イオンの創業家の岡田家の家訓・
「大黒柱に車を付けよ」とは 時代の要請で必要と判断されれば、目抜き通りに居を構
える本店(大黒柱)であっても、必要な場所に店舗をいつでも動かす覚悟で臨め、との
訓示であると理解しました。

そして最後にバブル崩壊に伴う総合スーパーの凋落(ちょうらく)が紹介されます。
バブル期の経営多角化の事例としてセゾングループ(堤清二代表)の「感性経営」
(おいしい生活、不思議大好き、SEED館)や、「文化の西武」(美術館、劇場、映画館)。
ダイエー(中内功)による、ハワイ投資ブームの火付けや、流通科学大学(神戸市内)の
開設。更にはニチイ(小林敏雄)の「生活文化産業集団」(リゾート、ホテル、アミュー
ズメント、複合映画館の運営)等々が、紹介されます。

1990年代初めに崩壊するバブルの後を襲った、デフレ・スパイラルの中で、生き残り
を懸けた小売業界でも ユニクロ、無印良品、ニトリ、しまむら、西松屋、ABCマート、ヤ
マダ電機、カインズ、アマゾン、楽天等々の所謂、 SPA(製造・小売一貫業態)専門店や
専門量販店、ネット通販店等が出現し時代の流れの中で総合スーパーの食料品を除く
販売部門の採算は悪化の一途を辿ることとなります。

1998年には、ニチイが会社更生法の対象となります。更に2002年には 西友が米国小
売業界最大手のウオルマート(WM)社の傘下に入り、また2017年にはユニーがドンキ
ホーテの傘下に入って、業界の再統合化が進みます。

セブンイレブン系列のイトーヨーカドーの国内各地の店舗が相次いで閉店に追い込
まれているニュースは、我々の耳にも新しい処です。

以上が小売業界の流れとしての概要ですが、そうした合間にも2000年には西友が住友
商事と業務・資本提携して「西友ネットスーパー」を開業、大手スーパー業界で「ネット
スーパー事業」の先鞭を付けます。

伺った処では、中村さんが西友本社営業企画部長時代にこの「ネットスーパー構想」を
提唱された当事者だったとのことです! あっぱれ!

最後に 中村さんが纏めてくださった資料2枚物と講師の近影、サロン講演風景写真4枚
の 計5枚の写真を添えて、報告とさせて戴きます。

 

 以上

9月20 日  早稲田サロン 代表世話人  岸川  公一  

 

(参考資料)

バブル崩壊とGMSの凋落[20151]

日本の小売業の変遷[20150]