早稲田サロン(2024.6.8)

6月 早稲田サロンは 去る8日(土) 夕刻、居酒屋「壱番館」に今中京平さん(1970年 政経 入学)を講師役にお
迎えし、「小金井稲門会創成期の人々」と題してお話いただきました。「春秋会」集会の帰路参加された
鈴木敏雄翁に同行された西村正臣さんの飛び入り参加を含む、総勢12名が大テーブルに集う形での、
今回講演となりました。

今中さんは現在 小金井稲門会唯一の「夫婦(めおと)会員」で、今年で小金井在住歴35年目を迎えられ、
奥様の律子さんは「さくらの会」(旧・女子会)の中心となって活動中の方です。

 

「小金井稲門会」は2019年12月に創立60周年を迎え、昨2023年に創立95周年を迎えた「八王子稲門会」に
次ぐ、三多摩地区26市の中で二番目に古い歴史を有する会です。その歴史・沿革は「60周年記念誌」に
詳しく述べられていますが、市制移行翌年の1959年12月には早くも会が発足した背景には、
戦前~戦中~終戦後の激動の時代を生き抜き、運命の中で小金井との地縁を得た一人のワセダニアン
(=実行の人)と、この地で新たな時代を担う学窓の後輩連との出逢いが「熱き想い」として作用した
結果では、と今中講師は分析します。

 

初代会長の山本倍夫氏(任期:1959年~1966年)が戦前に兄敬蔵が設立した「小金井精密工作所」
(現・株式会社コガネイ)の常務工場長に迎えられて小金井との地縁を得、戦後は専務の傍ら町会議員
として行政に関わり、市制後初の市議会議員選挙(1959年4月)で選管委員を務める中で知り合う
大学の後輩連と意気投合し、この年の12月に「小金井稲門会」を立ち上げるに至るその行動力は、
「ワセダニアン」の面目躍如たるものがあります。(株)コガネイから今中さんが今回のため譲り受けた
という貴重な「小金井製作所社史」もサロンに持参されましたが、大変立派な内容の社史であります。

 

続く2代目会長の稲垣信雄氏(任期:1967年~1988年)の時代は、高度経済成長期の中で学園闘争も
下火となり闘争に明け暮れた彼らの多くも企業戦士に身を投じ石油ショックとバブル崩壊を経て
昭和の時代が幕を下ろす「経済の激動期」の21年間を、一時期は8名もの議会関係者を会員に擁する
2代目会長として企業経営の傍ら、小金井稲門会の発展と、よりよい小金井の町づくりに貢献された
稲垣会長の功績が称えられます。

 

「創成期」最後の3代目会長・寺本正男氏(任期:1989年~1992年)は 市制後初の市議会議員に
社会党から当選後連続4期16年間に亘り市議を務め、1975年の市長選に出馬し落選して市政から
身を退いた経歴が紹介されます。その傍ら、小金井稲門会の発足以来30年間務めて来た副会長から
76歳で会長に就任したこと、寺本会長の時代に 総会、役員会、幹事会が定期開催されるようになり、
会報誌「ザ・紺碧」が刊行され会則の改訂や新年会・暑気払いなどのイベントの開催、部会活動など、
ほぼ現行通りの仕組みが形成された時期であったと紹介があります。寺本会長は長い市議経験者の
目配りで、市制施行から30年を経て変貌を遂げる小金井の生活環境面の整備と自然保護のバランスを
考慮しつつ、「小金井稲門会」の発展に尽くした功績が称えられます。

 

「熱き想い」が結集された「小金井稲門会」の発足から、今年で65年目、社会の不寛容化や分断、
AI技術の進化に伴う将来的な不安など、再び混迷を極めるかに思われるこの令和の時代にあって
「我々はどう生きるか」の命題や、今後の「稲門会」の在り方自体も含め今こそ会の創成期に
立ち会った先人たちの生きざまをヒントとして再考してもよい時期ではないか?との
「熱いメッセージ」が、今中講師の今回の講演に托されているように感じられました。

 

途中、自己経歴紹介の中で今中さんが語られるように 小学生~中学生の多感な時期に
4~ 5度もの転校を余儀なくされることがその後の性格形成面に少なからず影響を与える
可能性についても、種々考えさせられました。 

最期に、講師のアップ写真とサロン歓談風景写真4枚の 計5枚を添えて以上、報告とさせて戴きます。

 

 早稲田サロン 代表世話人 岸川  公一  6月15日