早稲田サロン(2024.8.10)
8月 早稲田サロンは 去る10日(土) 夕刻、居酒屋「壱番館」に 2年前入会された新規会員の内田隆雄さん
(1978年 理工学部卒)を講師役にお迎えし、「アメリカで暮らした43年」と題してお話いただきました。
盆休み直前の比較的ゆったりした雰囲気の中、参加者13名が大テーブルを囲んでの講演となりました。
テーマからうかがえるように 講師役の内田さんは、大学を卒業したおよそ半年後に祖国を発って以来、
3年前の2021年8月に帰国されるまでの43年間を北米で暮らして来られた方です。
大学3年時にアメリカを2ケ月余りに亘り長距離バスで個人旅行し、グレイハウンドの窓外に流れる景観
の余りの雄大さに圧倒され「衝撃」を受けた内田さんの心に、この地にどうしても住んでみたいとの想い
が日増しに募ります。卒業だけはしろと云う親の厳命は守ったものの、就活は全くせずに1978(昭和53)
年3月に理工学部化学科を卒業すると同時にトラックドライバーを半年間務め、工面した旅費と当面の
生活費を元手に、10月に単身 渡米します。
「将来的な不安などは微塵もなく、眼の前に開けた広い世界に対する唯々好奇心しかなかった..」と、
内田さんは若かりし当時の心境を振り返って語ります。
生まれ育った故郷の盆地で山の向うを見てみたいという想いも相まって、24歳の内田青年を単身広大な
地へと向かわせたとも云えるでしょうか。
「心から感謝しているのは、両親が好きな生き方をさせてくれたことだ」と、内田さんは述懐します..
「あとから知ったのは、父も色々とやりたいことがあったのに戦争や家庭の事情等で叶わなかった、その
分を子供にはやらせてあげたい、と語っていた。」とのことです。
渡米して半年後に内田さんはイリノイ州・シカゴの和食レストランに生活の糧を得て、2年後の1981年に
米国永住権を取得します。そして翌1982年にシカゴの店を退職し、ネバダ州・ラスベガスの和食レスト
ランに移りますが、店舗が改装中であったため一旦、帰国します。
その帰国中に見初(みそ)めた女性に内田さんがプロポーズします。それが現在の奥様だそうです..
大事な娘を異国に連れ去られてはと結婚に猛反対される先方のご両親とは対照的に異国暮らしの息子が
日本人の花嫁を貰ってくれると安堵される内田さんのご両親の想いとが交錯する中、最後は二人の強い
愛の絆の前に、先方のご両親も折れて結婚の許しが出たのでした。一時帰国していなければ内田さん
のその後の人生も違ったものになっていたことでしょう。人生の機微を垣間見るようなエピソード
です。
新妻を伴いラスベガスに帰任した内田さんは1985年に、念願のベーカリー店を馴染みの深いシカゴの地
に開設します。店舗は多いに賑わい、客の9割がたを占める米国人に最も人気のあったのは食パン、次い
であんパン、カレーパンなどが人気商品だったとのことです..この店舗は信頼できる日本人夫妻に譲
って、現在も同地で営業を続けているそうです。
大学生の内田さんを渡米へと衝き動かす動機となった「衝撃のグレイハウンド旅行」の体験から自身でも
趣味のバイクを駆(か)っていつの日か、こんな旅をしてみせると心に誓った日から、歳月は流れ、
中高年となり、生活にも何とか余裕が持てるようになった某日、内田さんは憧れのハーレーを駆って遂に
念願のロングツーリングに出るという「夢」を叶えたのでした!
そんな内田さんの雄姿は、ブログでご覧になれます。(←「ブログ」の文字をクリックしてください。)
最期に、内田講師の近影写真とサロン歓談風景写真4枚の 計5枚を添えて以上、報告とさせて戴きます。
以上
8月17 日 早稲田サロン 代表世話人 岸川 公一