早稲田サロン(2026.09.05)

9月早稲田サロンは去る5日夕刻 萌え木ホールを会場に総勢16名が参加し開催され、
会員で異色の経歴の持ち主の医師 穂坂英明さん(1977 理工卒。以下”先生”と呼ぶ) を
講師にお迎えして “心臓疾患と検脈 ” のタイトルでご講話いただきました。
通例の開催日である第二土曜(12日)が東京三多摩支部大会(於大隈講堂ほか)と重なった
関係で、今回は一週間繰り上げての開催と相成りました。
以下は 会場での講演内容に加えて別途 先生から直接伺った内容も交えた報告です。
穂坂先生は 埼玉県 蓮田市の生まれ。県内の公立高校から早大 理工学部 応用化学科に
進学します。部活は都内理工学部で構成される当時のリーグ1部にランクされたバレー
ボール部に所属して小金井には東京農工大学との試合で来所した程度で まさか将来こ
の地と深い縁ができるとは思ってもみなかったそうです。
3年生の後期に卒論のため先生が選んだのが血液透析の基礎研究であり 研究室で行な
っていた医療機器販社 及び病院との共同研究の一環で病院の臨床検査技師や臨床工学
士の方たちと基礎実験を行うなかで実臨床の様々な現場を体験するうち 次第に医師と
いう職業を意識するようになっていったそうです。 そして周囲の方々から背中を押
された先生は “医師の道” へ進む決意を新たに、猛勉強と在学中に獲た知見を基に医大
を受験して見事合格を果たし、1977年に早稲田を卒業した翌月4月より医大に進学。
医師の世界を歩み始めます。
先生の専門とされる内科医療は 問診から各種検査、必要に応じての投薬治療も含めて
幼児からお年寄りまでを相手に直接向きあって発熱・風邪・咳・腹痛・だるさ・高血
圧など身近に起こる症状を診療するもので 医師の人間性が直接 顕われる分野です。
前原診療所を引き継ぎ今日まで20年間を地域の方々を中心に院長として診療に当たっ
て来られた先生の “人となり” が こうしたことからも判ると思います。
今回講演では,実際に診療所で経験した心臓疾患の症例について受診者の心電図も示し
ながら判り易く解説くださいました。早朝に救急車を呼びたいほどの胸痛を感じたも
のの 受診時には自覚症状が消えていたという患者例では早朝時の自覚症状から狭心症
や心筋梗塞が疑われたため 心電図検査を実施したそうです。
➡『症状が消えたから大丈夫』は危険!
“不整脈” の早期発見には日頃からの “検脈” も有効とのことで, “心房細動” を患者自身
で検査するための検脈方法も教示いただきました。➡ 添付図 参照ください。
この “心房細動” が健康に及ぼすリスクとして①脳梗塞(5倍), ②突然死.心不全.脳卒中
(1.5~2倍), ③認知機能低下などが挙げられます。
講演の “まとめ” として先生はつぎのようにおっしゃいます。
1.定期的に健診を受診すること。(可能ならば同一の医療機関とするのが望ましい)
2・自覚症状(胸痛・動悸) があれば一旦消えても必ずかかりつけ医に相談すること。
3.定期的な検脈の励行を奨める。(➡ 費用の要らない検査法)
また講演では先生が偶然から小金井に腰を据えるに至った以下の経緯が語られました。
医師になって3年目(1985年)に大学より派遣され赴任した栃木県内の病院には休憩中
“金縛りに遭う” という部屋があって以前 東京から単身赴任していた若手医師が赴任中
に交通事故に遭い亡くなり ご家族が引き取りに来られるまで休憩室に遺体が安置され
ていたと聞かされたそうです..その後 先生が大学の医局に戻られ 奥様の実家のある
小金井市内のマンションに入居が決まってその報告を義父(当時の診療所長)にした際に
義父から このマンションが建つ前は医院があってそこの 若先生が栃木の病院に単身赴
任中 交通事故で亡くなったと聞かされます..それは栃木の病院での話と内容が合致
するため 同一人物と判ってその余りの偶然に驚くと同時に 小金井との強い因縁を感じ
小金井市を離れると何か起こるのではないかと考え 以来小金井に居住して36年が経過。
義母・義父の診療所(義母が開院)を20年前に引き継いで今日に至っています。
一通りの講演後は 各種の症状に対する質疑応答が活発に交わされ 盛況のうちに会は
お開きとなりました。
当日の聴講者は以下の通りです。【アイウエオ順、敬称略】
梅根憲生 輿水敦 坂井研次郎 関政己 立松英信 辻本英一 永井庸夫
中垣直美 西村正臣 福岡貴子 冨士森みつ 村田迪夫 吉川裕子 亘理鐵哉
岸川公一(=進行役)
最後に穂坂先生の近影を添えて活動報告とさせていただきます。
以 上
早稲田サロン 世話人 岸川 公一


