50周年記念第二回市民公開講座
「女性も男性も、美しく生きるために」
最近の化粧品の傾向とその周辺
2009年8月1日(土)午後3時〜4時半
於・小金井市商工会館2階ホール(萌え木ホール)

講師 小林禮次郎先生


株式会社コーセー取締役相談役
工学博士 S26/早大理工学部応用化学科卒

 当日は小金井のお盆の中日で他に市の行事とも重なり集客に不安があったが、市民、会員の奥様、ご家族のご参加も前回を大きく上回り、大盛況となった。増田義雄記念事業実行委員長が、当会の活動についてアピールする声にも力が入ったようである。

 S21年父上がコーセー化粧品を起業、禮次郎氏は早大応用化学科入学を勧められ卒業後入社、以来理工出身第一号社員として、商品開発の第一人者として、世界初の美容液の発明(1975)、美白化粧品雪肌精の大ヒット(1985)、モイスチュアスキンリペアの日経優秀製品・サービス賞優秀賞受賞(2004)など、その活躍はめざましかった。

以下、先生のお話から

・昔は哲学・宗教など内面から勉強しなさいという教えでしたが、今は外見の方が大事になってきた、外見が9割とも言われる時代です。読書・ラジオから一日中テレビで、女子アナなどきれいな人がめだってきた。これは化粧品にとってはありがたいことですが。

 明治時代は、「美人は、往往、気驕り心緩みて、人間高尚の得を失ふに至るものなきにあらず・・・これに反して、醜女には、従順・謙遜・勤勉等、種種の才徳生じ易き傾きあり。(中等教科書)」という恐るべき感覚です。明治40年、時事新報社が最初のミスコンテストを実施、一位は学習院女子中等部の女学生(応募写真を送ったのは義兄)だったが放校処分になりました。今は学習院でも東大でもミスコンは普通にやってますね。また卒業面(そつぎょうづら)という言葉が流行したことがあります。授業参観があって15,6才で美人相の女性は許嫁にされてしまう。卒業まで残っているのはまず醜女に限られ、それを卒業面といったようです。

 昭和になると贅沢は敵だ、『パーマネントはやめましょう』、14年精神総動員委員会が発表したものですが、軍歌のメロディで替え歌が流行り、反米のイメージで軍国少年は美容院の戸をあけてその歌をうたう遊びがあった。山野愛子が怒ってその少年を追いかけ捕まえたら自分の息子だったという話もありました。当時は電気で、かけすぎて毛がなくなったこともあり、おばあちゃん向きで若い人には人気がなくなった。それからコールドパーマが出てきて昭和40年代、当社はフランスのロレアルからパーマ液を買い、美容院向けの化粧品として販売し売り上げは増大した、それでフランスから勲章もいただきました。

・このごろ問題になっている社会現象で、電車内化粧女があります。ちょっと前までは否定論が圧倒的でしたが、いまやこれを弁護する本が出てきた。化粧は自己表現だ、教養だ、マスカラーとビュウーラーの違いも分からない爺さんが批判するなというんですな。

・日本人に特有のことで、「美白」があります。欧米人には美白への憧れはない。今でもプールサイドで肌を灼いてます。日本でも昔は日光浴がいい、灼けた健康的な肌を言うときがありましたが、今は紫外線はよくない、日焼けはシミ・そばかすの原因、日本人女性は色白肌に憧れています。このルーツは平安時代の貴族の暮らしにあります。長い髪、暗い部屋、優雅な着物、貴い人は白くなければならない。照明の暗い中では白い顔で長い髪が美しかったのでしょうね。そして貴種、偉い人、そう天皇陛下は米粉のおしろいをつけてました。明治天皇まではね。また江戸時代は鉛や水銀の白粉が使われていましたが、明治になって禁止されました。

 現代、コーセーが1985年5月に美白化粧品として「雪肌精」を発売しました。はじめ白肌精で出したが厚生省がこの名称はだめといってきた、それで雪にしたんですがこのネーミングがかえって当ったんです。その後白肌精もよしとなったのですが、その名前で出したら全く売れませんでした。1990年にはコウジ酸を使ったホワイトニングクリームを発売しました。これは味噌職人の手が白いということから研究しました。

・また日本では養毛剤の売り上げが世界一です。フランス人イタリア人は養毛剤は使わない、ハゲを気にしません。養毛薬剤の草分けは加美乃素、ヨーモトニック。今はアデランスとかアートネイチャーも出てきましたね。最近の養毛剤はリアップX5(大正製薬)、プロペシア(萬有製薬)など医薬品になってます。3年使わないとだめですなどとうたってますが、保証があるのかわかりません。養毛剤の配合成分は主にトウガラシチンキ、血管刺激剤です。それにしてもハゲということばは乱暴な気がするのでいろいろ捜したのですが、ほかの言い方がない、差別用語でもないんですね。ま、その原因ですが、皮脂過多説、ホルモン説、帽子説、遺伝説、頭皮緊張説があります。それぞれ一理あるわけですが、私は頭皮緊張説。骨顔、肉顔がありまして、骨顔は緊張しやすい。逆にいうと骨顔の人は骨格がはっきり出てて好男子といえます。上記の説のほかにDNAを研究したものなどはこれから研究するところで、ハゲの原因については解明されておりません。

・男性用整髪料は昔ポマード、そしてヘアリキッド、ヘアムース、ウオータージェル、ワックスと変わってきました。今思えばポマードほど不快な化粧品はありません。 臭いしべとつくし枕を汚す。戦前の日本の国電の匂いはこのポマード、ひいては日本を代表する匂いとまでいわれたこともありました。

・日本人のもうひとつの特徴ですが、香水を使わない。平安時代から香木を使ったものはあったんですが、アルコールを使った香水はない。何故使わないか?体臭が少ない、風呂好きですね。このほかに私が考えたのですが、日本料理、お鮨には香水は合わない、まずくなる。お米も炊き立てのあの匂いが大事、素材を大切にするから余計なものが入ってはだめ。それから扇子や団扇の時代には汗対策で香水を使った。しかしクーラーが入ってからは要らなくなりました。

・今化粧品の主流はファンデーションです。戦前のお化粧は6工程で済んでましたが、今は洗顔から化粧水、乳液、収斂化粧水、化粧下地、ファンデーション、パウダー、アイカラー、アイライナー、マスカラ、アイブロウ、リップカラー、フェイスカラーなど大変複雑な時間のかかる工程になってます。そしてヴォーチェとかいろいろマニアックな若い人むけの化粧とファッションの雑誌が出ています。ファンデーションというものは戦後に登場しました。コーセー最初のファンデーションは1953年にできました。その後いろいろなものが開発されています。時間がなくなりましたので、まとめたいと思います。

 新しい価値観、新しい市場がうまれています。ニューラグジュアリー世代と呼ばれますが(注・一般の消費者でも少し無理をすれば買えるような贅沢品、そしてその購買層をニューラグジュアリー世代と呼ぶ。アメリカでは年収500万ドルくらいの中流階級市場、日本では50〜55歳の団塊世代を指す)。一人二極化消費、例えばBMWに乗って100円ショップへ行く、バッグはルイ・ヴィトン合わせる洋服はユニクロ、フランミュウラーを買うために昼食は吉野屋でといった具合。その心理には4つの感情スペースがあります。@自分を大切にするA人とのつながりを求めるB探求心C独自のスタイルを持つ、といわれます。

 また消費の二極化の商品のことですが、一方は「良品廉価」これに対して「知価ブランド」。
  清酒(黄桜、日本盛)⇔ 吟醸酒(久保田万寿、八海山)、
  通常流通米⇔ブランド米(コシヒカリ、秋田こまち)、
  従来農法⇔ブランド農業(有機栽培・無農薬)、
  ユニクロ、H&M⇔エルメス、ルイヴィトン、
  コンパクトカー(フィット、ヴィッツ、デミオ)⇔BMW、
  ポルシェ、セルシオ、コンパクトデジタルカメラ⇔一眼レフのデジタルカメラ、
  回転寿し⇔銀座の有名寿し 
といった捉え方ができると思います。知価ブランドというものは、しっかりした技術がないとできません。これらができるのは日本、そしてアメリカ、西欧の数カ国ではないでしょうか。

 最後に「技術」といわれましたが、奇しくもコーセー創業の年、昭和21年(1946年)にはトヨタ、ホンダも創業。まさに日本のベンチャー企業が本気で技術を磨き今の栄光を築いていることにも思い至ったことでした。

 化粧品という切り口から、日本人の美意識・文化・感性そしてその変遷と現代のライフステージなど、深く幅広い教養に裏付けられたご講演は、次々と好奇心をそそられる興味深いものでした。



 講演後、先生を囲み会員による暑気払いが催されました。早大ラテンアメリカ協会の学生による
カーニバルサンバダンスの登場、あの刺激的なコスチュームで、赤・青・黄のスパンコールの煌めき、孔雀かダチョウ?のおおきな羽根飾り、耳をつんざく激しい太鼓のリズム、生の踊り、長い脚、一気に会場は盛り上がり、みんな目が醒めるほど興奮したのではないでしょうか。いまから30年以上前ラテンアメリカ協会の部員だったという宮沢氏は、「び、びっくりした!」を連発されていました。

新会員 森実氏 近々転居の稲垣さん
 電車内化粧女のみならず、カルチャーショックに打ちのめされた、第二回市民公開講座の一日でした。
國分ひろみ副会長 記
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